教えのやさしい解説

大白法 536号
 
勇猛精進(ゆうみょうしょうじん)
「勇猛精進」とは、勇(いさ)ましく強い心をもって苦難に向かい、進んで妙法受持の修行に精進することをいいます。
 法華経の『見宝塔品(けんほうとうほん)』に、
 「此の経は持ち難し 若し暫(しばら)くも持つ者は 我即ち歓喜す 諸仏も亦(また)然なり 是の如きの人は 諸仏の歎(ほ)めたもう所なり 是れ則ち勇猛なり 是れ則ち精進なり 是れ戒を持ち 頭陀(づだ)を行ずる者と名づく 則ち為(こ)れ疾(と)く 無上の仏道を得たるなり」(法華経 三五四n)
と、法華経を仏の滅後(めつご)において受持することは大変難しいが、その困難至極とされる法華受持は、三世の諸仏の歓喜し褒(ほ)め給うところであり、それを成し遂げる者を勇猛とも精進ともいうのであると説かれています。
 この「勇猛」と「精進」の二句について、天台大師は『法華文句』に、
 「能(よ)く持ち難きを持てば即ち勝行を成ずることを明す。勝行に自他有るなり」
と、持ち難き法華経を受持することは、あらゆる修行の中で最も勝れており、その勝行には自行と化他があると釈しています。
 その勝行とは、日蓮大聖人が、
 「三世の諸仏の大事たる南無妙法蓮華経を念ずるを持つとは云ふなり(中略)天台大師の云はく『信力の故に受け念力の故に持つ』云云」(御書 七七五n)
と仰せのように、末法においては妙法を信ずること、仏の万行万善の功徳を納め、「三世の諸仏の大事たる南無妙法達華経」の御本尊を信じ奉って題目を。唱することなのです。すなわち、第二十六世日寛(にちかん)上人が『依義判文抄(えぎはんもんしょう)』に「此経難持(しきょうなんじ)」以下の文を挙げて三大秘法に配し、
 「応(まさ)に知るべし、『勇猛精進』は即ち是れ信心・唱題なり、故に本門の題目と為すなり。中に於て『勇猛』は是れ信心なり。故に釈に曰く『敢んで為すを勇と曰い、智を竭(つく)すを猛と曰う』云云、故に勇み敢んで信力を励み竭すを勇猛と名づくるなり。『精進』は即ち是れ唱題の行なり。故に釈に曰く『雑無きの故に精、間(ひま)無き故に進』云云」(六巻抄 八九n)
と説かれているように、「勇猛精進」は信行具足の本門の題目です。つまり「勇猛」とはあらゆる困難迫害を打破し、妙法こそ即身成仏の大法であると固く信ずることをいい、「精進」とは余事を雑えず、ただひたすら唱題することをいいます。
 この信行具足の本門の題目こそ『三大秘法抄』に、
 「末法に入って今日蓮が唱ふる所の題目は前代に異なり、自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり」(御書 一五九四n)
と説かれる一切衆生を救済する自行化他の題目です。
 私たちは、信心を根本にする真剣な唱題行を実践し、その功徳をもって折伏に励み、本年の誓願目標を必ず達成してまいりましょう。